2018.4/22教会創立記念礼拝

『主が導かれた“この集い”“この場所”で』

 

 主にあって愛する兄弟姉妹の皆さん。私たちそれぞれ、「主の導きに

よりまして、ここ須賀川バプテスト教会の“群れ”に集い、“この場所”を拠点として、共に信仰生活を過ごしています。

 

 これから先、主が導かれた“この集い”“この場所”で、私たちは何を

得、何をし、何を祈り求めるのでしょうか?

 

❏その一つは、“いこい”を得させていただくのです ローマ15:32

「その結果として、神のみこころにより、喜びをもって、あなたがた

 のところへ行き、あなたがたの中で、共にいこいを得る事ができます

 ように。」

 

 この“みことば”にありますように、パウロは、ローマにある教会の、

その群れに集い、その場所で「共に“いこい”を得たい」と思いました。

私たちも同様に“この集い”“この場所”で『いこいを得させていただく」

のでございます。

 この「いこいを得る」というのは、『共に』を意味する語、「再び」

を意味する語と『休止する』を意味する語の、三つが合わさってできた

言葉です。その意味は、『共に回復する』とか、『共に新たに爽やかに

なる』、『共に再び元気づく』でございます。

 そういう事をひっくるめて、新改訳聖書では「共に“いこい”を得る」

と訳しましたが、これは本当に言い得た良き翻訳だと思います。

 

 そのように、“この集い”“この場所”で私たち、何を得させていただく

のか?

 時に、疲れた私たち、共に癒され、回復させていただく分けです。時

に、もやもやとした心持ちの私たちが、“この集い”“この場所”で、共に

新たに爽やかになり、共に再び元気づかせていただくのです。

 そのようにして、私たちは、“この集い”“この場所”で、共に“いこい”

を得させていただく。しばしの休息に安んじ、満足を得、鋭気を養うの

でございます。

 

 どなたが、それを実現して下さいますか? この教会の大牧者なる

イエスさまです。マタイ11:28

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしに来なさい。

  わたしこそがあなたがたに“いこい”を得させる」

 

 ここで、イエスさまがおっしゃった「“いこい”を得させる」という語

は、「共に」が付いていませんが、32節の言葉と同じであります。

 すなわち、イエスさまこそが私たちに“いこい”をお与え下さる分けで

ございます。

 ですから、私たちそれぞれは、「“イエスさま”に行く」という思いを

もって、“この集い”“この場所”に来る事に拠って、“いこい”を得る事が

出来る分けです。

 

❏もう一つ、“この集い”“この場所”で、私たち、『心満たされて、ここ

から、それぞれの“場”に遣わされて行くのであります。ローマ15:

23~24

「今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、

イスパニヤに行く場合は、あなたがたの所に立ち寄る事を多年希望して

いましたので、-というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらく

の間、あなたがたと共にいて心満たされてから、あなたがたに送られ、

そこへ行きたいと望んでいるからです。」

 

 ここに語られていますように、パウロには、イスパニヤ(スペイン)

行き、そこで福音を伝える宣教計画がありました。

 それが実現する折りには、それに先立ち、ローマにある教会の集い、

その場所で、まずはパウロ、心満たされ、勇気を得たいと思いました。

 そして、その後で、教会から祈りをもって送り出されて、イスパニヤ

宣教に行きたいと望んでいた分けでした。実際、そのようにして彼は、イスパニヤ宣教に出向いたのでございました。

 

 私たちもこれと同様で、“この集い”“この場所”で、励ましを得て、心

満たされ、勇気を得て、それぞれの“場”へと遣わされて行く分けです。

 どんな者として遣わされるのでしょうか? キリストの証人としてで

あります。

 すなわち、キリストと共に生き、キリストを現わし、キリストを証し

するためにこそでございます。

 

 これは、私たちそれぞれに託された重大な使命でありまして、決して

生半可な気持ちでは到底果たし得ない大役です。

 であればこそ、私たちは、“この集い”“この場所”で共に励ましを得、

心満たされ、勇気を得て、互いのために祈る祈りをもって送り出されて

行く必要がある分けです。

 私たち一人一人、同じ「キリストの証人」として、共に「同労者」で

あり「戦友」ですから、“この集い”“この場所”で互いに思い遣り、互い

に励まし合いましょう。

 

 ところで、キリストの証人として、私たちに望まれる振る舞いとは、

どのようなものでしょうか? Ⅰペテロ15:21

 ここに、「立派な振る舞い」とあります。その表現から、どのような

イメージを持ちますでしょうか? 非の打ち所のない完璧な行動?

 もちろん、それも素晴らしい証しになります。けれども、たとえ失敗

したり、上手く行かない場合でも、あるいは、ドン底の悲しみの中で、

主の恵みに支えられ、励まされ、誠実に生き、最善を尽くす。それが、一味違う、私たちの立派な振る舞いとなりましょう。

 

❏もう一つ、“この集い”“この場所”で私たち、共に何を望みましょう

か? 人々の救いであります。ローマ15:21

「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことの

無かった人々が悟るようになる」

 

 この須賀川バプテスト教会、始まって29年。その最初に示された

みことばが、この21節でした。

 確かに、これまでに、この“みことば”のとおりに、人々は救われて

きました。

 これから先も、“この集い”“この場所”で、私たち、共に切望し、共に

祈り、そのために共に労苦したい事は、人々の救いであります。

 

 この“みことば”の実現を喜び待ち望みましょう。私たちそれぞれに

とりましての、“あの方”の救いのために祈り、証しいたしましょう。 

須賀川バプテスト教会

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