2018/5/6礼拝説教

<聖書の中に登場する“その他の人たち”シリーズ>

『ヘテ人ウリヤ-誠実を貫く』第二サムエル記11章から

 

 ヘテ人ウリヤについて、お話する前に、この時のダビデに注目します

と、彼は「王」として“意のままに”に行動いたしました。

 

 たまたま目にした女を、使いを送り、召し入れ、彼女との関係を要求

した事。彼女が身ごもったのを知ると、人を遣り、ウリヤを自分のもと

に呼び寄せた事。

 ウリヤを欺いて、自分の「王」としての命令に従わせて、犯した罪を

揉み消そうと謀った事。これが巧く行かないと、今度は酒を使う、陰湿

な手立て打ちました。

 ところが、これも失敗に終わると彼は、何とヨアブにウリヤを戦場で

死なせる密命を下したのでありました。

 

 まさに、王としての権力を「笠に着て」の、“意のまま”の振る舞いで

ございました。これをやり遂げた時のダビデの言葉にご注目下さい。

 「あなたはヨアブにこう言わなければならない。『このことで、心配

 するな。剣はこちらの者も、あちらの者も滅ぼすものだ。あなたは町

 をいっそう激しく攻撃して、それを全滅せよ。』あなたは、彼を力づ

 けなさい。」

 

 さて、次に、こんなであったダビデの周りの人たちですが、彼らは、

自分たちの“意に反し、王の命じるままに”応えました。

 

 ウリヤの妻バテ・シェバは、王からパワ・ハラ、セク・ハラを受け、

断る事など到底できずに不倫関係に陥りました。

 ダビデの側近や周りで仕える人たち、身内の者たちは、どうでありま

したか? 疑問に思いつつも沈黙し、王の命じるままにいたしました。

 ヨアブは、どうでありましたか? 「ウリヤのように有能な武将を、

なぜ、そのように?」と伺う事もなく、王の“命じるまま”に事を行ない

ました。

 

 しかも、ヨアブ、ウリヤを意図的に殺害したという嫌疑が起きぬよう

事を謀り実行いたしました。それがゆえ、だれもが、それは、ウリヤを

含めた複数の兵士たちの死を招いた、ヨアブの戦略上の失敗による偶発

的な出来事だと考えた事でしょう。まことに、したたかです。

 

 皆さん。この「意のままに振る舞ったダビデ」と「意に反するも、王

の命じるままに応えた周りの人たち」の中、ウリヤはどのように行動し

ましたでしょうか? 彼は『誠実を貫いた』のでありました。

 

 突然、ダビデ王に戦場から召還されたウリヤ。問われるままに、戦い

の状況をひととおり報告したのでございました。

 そして、家に帰るよう、ダビデ王に命じられましたが、従わず、彼は

他の家来と共に王宮の門あたりで野宿いたしました。

 そのようにウリヤは王の命に反して行動した分けですが、その理由は

彼の誠実な心意気のゆえでした。

 「ダビデは、ウリヤが自分の家には帰らなかった、という知らせを

 聞いて、ウリヤに言った。『あなたは遠征して来たのではないか。

 なぜ、自分の家に帰らなかったのか。』

  ウリヤはダビデに言った。『神の箱も、イスラエルも、ユダも

 仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも、戦場で

 野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、

 妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましい

 の前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。』」

 

 このウリヤ。何と潔くも誠実な人物でありましょうか! こんな忠義

な家臣に、“前の”ダビデならば、「目を細めて」喜んだでしょう。

 しかし、この時には、真逆の意味合いで「目を細めて」、ダビデは、

ウリヤにイライラを増したのでした。そして、あの酒を使っての陰湿な

手立てを・・・。

 ところが、ウリヤ、この策謀にも嵌らず、確固として自分の行動を

律し、誠実を貫いたのでありました。お見事、あっぱれです。

 

何ゆえ、ウリヤは、そのように誠実を貫く事ができたでしょうか?

 

 その答えのヒントとなりますのは、彼の「ウリヤ」という名前の意味

です。その意味とは『主は我が光』。

 

 彼は「ヘテ人ウリヤ」とあるように、イスラエル人ではありませんで

した。この「ヘテ人」、「セム、ハム、ヤペテ」の「ハムの子カナン」

の子孫、一般的な民族名は『ヒッタイト』であります。

 ですから、彼の家系は偶像崇拝の、イスラエル人からすると異教徒で

した。ところが、その親が付けましたのが、「主は我が光」という名前

で、すなわち、少なくとも親の代が、真の神、主に対する信仰の告白を

する人になっていた分けでした。

 その家のウリヤ、いつしかダビデの家来となりました。しかも単なる

一介の家来ではなくて、あの勇猛果敢な「三十人」の一人として名を成

した武将となっていたのでございました。

 

 そのようにウリヤは、神の民に連なって、その一員として信仰を同じ

にし、神さまのため、神の民のために戦う勇者であった分けでした。

 皆さん。このウリヤには「自分は聖なる戦いに従事させて戴いている

んだ」という自負心がありましたでしょう。

 であればこそ彼は、たとえ王に命じられるも、「神のための戦士」と

しての誠実を貫き、自分の行動を強固に律したのでありました。

 

 であるゆえ、ウリヤが誠実を貫きましたのは、彼が「人」ではなく、

「神」を恐れ、何よりも神の御心を第一とし、託された自分の務めに

忠実であろうとしたからでございました。

 

 皆さん。このウリヤに私たちが是非とも倣うべき「ありよう」があり

ます。

 

 すなわち、人の顔色を窺い、人を恐れて優柔不断な行動に出てしまう

のではなくて、神さまを恐れ、神さまを愛し、御心に適う行動を取る。

そのようにして、どんな事にも、いちクリスチャンとして誠実を貫く

という分けでございます。

 

 さて、一つ、付け加えると、ダビデの汚らわしい恥ずべき行動に対比

して、真にウリヤの誠実を貫いた行動は美しくも気高くあります。

 ですが、その結果として彼が不当な死に至った事は、そこだけを見る

ならば、何か釈然といたしません。

 けれども、この誠実を貫いた聖徒の死を「尊い」とされ、死後の永遠

の世界において報いて下さる御方、神さまがいらっしゃるのです。

 

 この世に在りましては、誠実に生きて損をする事や、報われない事、

不当な仕打ちに遭う事もありましょう。ですが、私たちの誠実を隠れた

所で見ておられる、父なる神さまがおられ、必ず時が来て報いて下さい

ます。

 

これを励みとし、誠実を貫き生きてまいりましょう!

 

 

須賀川バプテスト教会

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