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2018/1/21

『心責められし人の祈り』詩篇143篇

 詩篇全体の中で7つが「悔い改めの詩篇」とされていますが、

その最後が今日注目の詩篇143篇です。

 実際、この詩篇には、自分に敵対する人たちの仕打ちを、神の

懲らしめと受け留めて、心の責めを甚く感じ、弱り果てている、

その様子を窺い知る事が出来ます。

 

*1~2節

よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。

あなたの真実と義によって、私に答えてください。あなたの

しもべをさばきにかけないでください。」

 ここに歌われていますのは、①自分の犯した罪のゆえに

感じている罪悪感。②自分の心の、どうにもならない汚れ・

腐敗。③それを認めつつも、神さまに赦しを願う、切実な

祈りです。

 

*3~4節

「敵は私のたましいを追いつめ、私のいのちを地に打ち砕き、

長く死んでいる者のように、私を暗い所に住まわせたからです。

それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちで

こわばりました。」

 敵の仕打ちは大変辛くありましたが、その苦しみをとおして

心責められる事がそれよりも苦痛であり、ひどい悲しみとなり

ました。そして、この詩篇の歌い手であろうダビデの「霊」は

「衰え果て」、彼の心は「こわば」ったのでした。これは、

かなり深刻な心の病んだ症状です。

 

*7節

よ。早く私に答えてください。私の霊は滅びてしまいます。

・・・私が穴に下る者と等しくならないため。」

 これは、さらに危機的です。「私の霊は滅びる」という分け

です。このままだと「穴に下る者」と「等しくなる」、すなわち、

最悪、死に至ってしまうという分けでした。

 

このように、心責められし中、ダビデは何を祈りましたでしょうか?

 

*7節

「どうか、御顔を私に隠さないでください。」

 ここで彼は、今一度の罪の赦し、全ての悪からのきよめを願い、

神さまとの親しい交わりの回復を祈り求めたのでした。

 

*8節

「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼して

いますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましい

はあなたを仰いでいますから。」

 この「朝に」という言葉には、比喩があるのではと思います。

すなわち、「夜」が象徴します『苦難』の中、夜通し、悔い改め

をし、嘆きをもって祈りをする。そして、ついには夜明けを迎える。

その“新しい朝”にこそ、神さまの“新しき恵み”が現わされ、もたら

されるという分けです。言い換えれば、赦しの恵み、きよめの恵み、

神さまとの親しい交わりが回復される恵みです。

 次に、「私に行くべき道を知らせてください。私のたましいは

あなたを仰いでいますから。」という祈りですが、これはダビデ

が赦しを得、元気と勇気を戴き、立ち上がって、再び前に進んで

行こうとする、“新しい決意”の現われ、言わば“新しい旅立ち”で

あります。そのように、犯した罪のために心責められし人であり

ましても、神さまの恵みのゆえに再び新しく始めることができる

のです。ハレルヤ!

 

*9節

よ。私を敵から救い出してください。私はあなたの中に、身

を隠します。」

 この祈りに何を見い出すでしょうか? 特に「私はあなたの中

に、身を隠します」という点に注目しましょう。

 これを言い得るという事は、ダビデと神さまとの関係が、どう

なったからでしょうか? それは、“元の関係”に戻ればこそ!

 すなわち、再びまた遠慮無しにダビデは、神さまを「避け所」

とし、「隠れ家」とし、「我が味方」「私の身を守る盾」とする

事が出来た分けでした。

 

*10節

「あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ

私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな

地に私を導いてくださるように。」

 この祈り、まず一つは、神の御心を弁える事を願う祈りです。

もう一つは、その御心を、どのようにして日常生活で実現して

行くべきか、その指針・指示を戴く事を願う祈りです。そして、

さらには、その教示された一つ一つのことを実行できるよう、

聖霊の御助け・御力を授与される事の願う祈りです。

 

 私たちそれぞれが、日毎に、この10節の祈りを8節の祈り

と合わせて祈りたいと思います。

 

*11節

よ。あなたの御名のゆえに、私を生かし、あなたの義に

よって、私のたましいを苦しみから連れ出してください。」

 この祈りをダビデは、まず一つ、神さまの「御名」を拠り所

として祈りました。すなわち、その「御名」とは、『呼ばば

応えたもう』“救いの神”としての御名です。

 もう一つ、ダビデは、神さまの「義」を拠り所として祈りま

した。すなわち、ご自分の約束の“みことば”を必ず守られる、

神さまの『忠義なるご性質』を拠り所として祈ったのであり

ました。

 私たちも同じであって、神さまのいろいろな御名や、神さま

ご自身の御性質や、約束の“みことば”を拠り所として祈る事が

できるのです。

 

 さて、そのようにして、ダビデは、神さまの御名前とご性質

を拠り所として祈りましたが、何を祈りましたでしょうか?

それは、「苦しみから連れ出される」事でした。これは、ただ

単に「苦難から救い出される」事ばかりではなく、苦境を耐え

忍ぶ力を賜わり、ついには、言わば、試練による『学習課程』

を無事修了できるようにとの祈りでありましょう。

 

 もしや私たち、何事かの試練に遭います時に、ただ苦難から

救い出される事ばかりではなくて、その苦しみを耐え忍ぶ力を

戴けるよう、試練による学習課程をしっかりと学び終える事が

できるよう、お祈りしましょう!

 

須賀川バプテスト教会

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